皆さん、こんにちは。現代シルクロードビジネス物販講師の黒澤です。
今回は少し、自分自身の生き方について考えてみたいと思います。テーマとしては、「ヒリヒリする生き方は正しいのか」という話です。
これが合っているのか、間違っているのか、正直私にもまだわかりません。ただ、私の場合、そのヒリヒリする生き方というものが、どうも性に合っている気がするんですね。
胸がひりつく感じ。脳内がぐるぐるする感じ。まだやれることがある、まだ改善できることがある、まだ形にできることがある、という感覚。それは一見すると、落ち着きがないようにも見えるかもしれません。もっと安定した方がいい、もっと平穏な方がいい、もっと穏やかに生きた方がいい、と言われれば、たしかにその通りだと思います。
ただ一方で、私はそのヒリヒリの中に、自分の生きている実感のようなものを感じてしまうところがあります。
誰かのために働くと、火事場の馬鹿力が出る

たとえば、非常にわかりやすい話をすれば、大切な家族がいて、その家族のために仕事をする。お金を稼ぐ。なぜなら、その家族と一緒に出かけたいから。美味しいものを食べたいから。旅行に行きたいから。良い経験をさせてあげたいから。そういう目的があると、人はものすごく仕事ができたりするわけです。
自分一人のためだけなら、そこまで頑張れないこともあると思います。
別に自分一人なら、そこまで職にこだわらなくてもいい。そこまで住む場所にこだわらなくてもいい。そこまで旅行や外食にこだわらなくてもいい。最低限食べていければそれでいい、という感覚になることもあるかもしれません。
でも、それが誰かのためになると、一気に力が湧いてくることがあります。恋人のため。家族のため。大切な人のため。守りたい人のため。喜ばせたい人のため。そういう存在がいると、いわゆる火事場の馬鹿力のようなものが出る。普段の自分では出せない力が出る。眠っていたエンジンに火がつくような感覚になる。
私は、おそらくそういうタイプなのだと思います。
安寧よりも、少し刺激のある未来に惹かれる自分がいる

もちろん、一般的には、自分に多くを求めない相手の方が安寧だと思います。落ち着いた生活を送りやすいと思います。無理をしなくていい。背伸びをしなくていい。お金を使わなくても成立する。大きな旅行に行かなくても、何気ない日常だけで満たされる。そういう相手や環境の方が、精神的には穏やかで、安定した生活を送れるのかもしれません。
それは、それで非常に尊いことです。ただ、私の場合は、逆にそこに少し刺激を求めてしまう部分があるのかもしれません。
これは別に、相手がお金を求めているとか、貢ぐとか、そういう話ではありません。そうではなく、ある程度お金があることで成立する体験、旅行、食事、移動、空間、時間の使い方、そういったものに対して、私自身が楽しさを感じるという話です。
たとえば、少し良い場所へ旅行に行く。普段は行かないようなレストランで食事をする。綺麗な景色を見に行く。少し背伸びをしたホテルに泊まる。そういう体験は、ただ消費しているだけではなく、自分にとっては「もっと仕事を頑張ろう」と思える起爆剤になることがあります。
お金は、単なる数字ではない
私にとってお金というのは、単なる数字ではありません。通帳の残高を増やすためだけのものでもありません。誰かと一緒に経験を作るためのもの。自分の中のエネルギーを燃やすためのもの。人生に彩りを与えるためのもの。そういう意味合いが強いのだと思います。
穏やかさも正しい。ヒリヒリも、使い方次第では力になる

ただ、ここで難しいのは、この生き方が「正しい」のかどうかです。穏やかに暮らした方がいいのか。ヒリヒリしながら進んだ方がいいのか。安寧を選んだ方がいいのか。刺激を選んだ方がいいのか。これは簡単には答えが出ません。
おそらく、正解は一つではないのだと思います。ある人にとっては、穏やかさこそが人生を支える土台になります。静かな生活、安定した関係、無理のない仕事、過剰に刺激を求めない日々。その中で、自分の心が整い、長く健やかに生きられる人もいるでしょう。
一方で、ある人にとっては、ある程度の緊張感や目的、守りたいもの、叶えたい体験があることで、自分の能力が引き出されることもあります。平穏すぎると、逆に力が出ない。責任やプレッシャーがあるからこそ、エンジンがかかる。少し胸がひりつくくらいの方が、自分が前に進める。私は、おそらく後者の傾向があるのだと思います。
ただし、ここで気をつけなければいけないことがあります。
ヒリヒリする生き方は、エネルギーになる一方で、下手をすると依存にもなります。常に刺激がないと動けない。誰かに求められていないと自分の価値を感じられない。高い目標や緊張感がないと、日常に意味を見出せない。そうなってしまうと、ヒリヒリは自分を燃やす力ではなく、自分を削る力になってしまいます。
だからこそ、私はこの生き方を全肯定するつもりはありません。
ただ、自分にとってヒリヒリする感覚が完全に悪いものなのかというと、そうでもないと思っています。問題は、ヒリヒリしていることそのものではなく、そのヒリヒリがどこに向かっているのかです。
誰かを喜ばせたい。良い体験を作りたい。自分の仕事をもっと良くしたい。生徒さんやお客様に価値を届けたい。自分の人生を止めたくない。そういう方向に向かっているのであれば、そのヒリヒリは、ある種の生命力なのだと思います。
数字の奥には、必ず情緒がある

胸がひりつく。誰かのために頑張りたいと思う。もっと良い場所に連れていきたいと思う。もっと良い体験をしたいと思う。もっと仕事を作りたいと思う。もっとお金を稼ぎたいと思う。その感覚は、決してすべてが俗っぽいものではないと思います。むしろ、人間が生きている以上、そこには情緒があります。
岡潔さんという天才数学者は、「情緒」というものを非常に重視した人として知られています。
数学というと、私たちは論理や計算の世界だと思いがちです。けれど、岡潔さんは、数学や創造の根底に情緒があるという視点を持っていたとされています。厳密な学問である数学でさえ、ただ冷たい論理だけではなく、人間の内側にある情緒や美意識と深く関わっている。そう考えると、ビジネスも同じなのではないかと思うのです。
お金を稼ぐ。広告を改善する。利益率を見る。ACOSを見る。TACOSを見る。商品ページを改善する。そういったことは、一見すると数字の世界です。非常にロジカルで、ドライで、計算の世界に見えます。しかし、その奥には必ず情緒があります。
情緒と構造の両方を見る
なぜ稼ぎたいのか。誰を喜ばせたいのか。どんな体験をしたいのか。どんな人生を送りたいのか。何を守りたいのか。何に胸が震えるのか。その情緒がなければ、数字はただの数字になってしまいます。逆に、情緒だけで数字を見なければ、ビジネスは現実からズレてしまいます。だから大切なのは、情緒と構造の両方を見ることです。
同じヒリヒリでも、それをどう意味づけるかで変わる

ここでフッサールの現象学の話も少し関係してくると思います。
フッサールの現象学は、意識や経験がどのように現れるのかを記述しようとする哲学として説明されます。難しい言葉を使わずに言えば、私たちは「世界そのもの」をそのまま見ているようでいて、実際には自分の意識や経験の仕方を通じて世界を見ています。
同じ出来事でも、ある人にはプレッシャーに見える。別の人にはチャンスに見える。ある人には重荷に見える。別の人には燃料に見える。つまり、「ヒリヒリしている」という状態も、それ自体が良い悪いというより、自分がそれをどう経験しているのかが重要なのだと思います。
私にとってヒリヒリは、単なる不安ではないのかもしれません。もちろん不安もあります。怖さもあります。けれど、それだけではなく、前に進みたいという衝動でもあり、誰かのために何かを形にしたいという情緒でもあり、人生を動かしたいという感覚でもある。フッサール的に言えば、同じ「緊張感」でも、それが自分にとってどのように意味づけられているのかを見つめることが大切なのだと思います。
問題を解くのではなく、構造そのものを見直す

さらに、ノイマンの話もここに関係してくるかもしれません。ジョン・フォン・ノイマンは、数学、物理、コンピュータ、ゲーム理論など多方面に大きな影響を与えた人物として知られています。ノイマンについて語られる逸話には、問題をものすごい速度で処理する天才的なイメージがあります。
ただ、ここで私が重要だと思うのは、単に「頭が良い」という話ではありません。問題を解く人は、目の前の問題をそのまま解くだけではなく、時に問題の構造そのものを見直します。
構造を捉え直す
「どうすればもっと頑張れるか」ではなく、「なぜ自分は頑張れる時と頑張れない時があるのか」を見る。「もっと努力しなければならない」ではなく、「自分が努力できる構造は何なのか」を考える。「自分は怠け者だ」と責めるのではなく、「自分は誰かのため、何かのためという起爆剤があると力が出るタイプなのではないか」と構造を捉え直す。これは非常に重要な視点だと思います。
自分が一人だとあまり燃えない。でも、誰かのためなら燃える。大切な人のためなら力が出る。家族や恋人や生徒さんやお客様のためなら、火事場の馬鹿力が出る。それなら、自分を責めるのではなく、その構造を理解した方がいいのです。
もちろん、誰かに過度に依存してはいけません。
誰かがいないと頑張れない、誰かに認められないと自分の価値がない、誰かを喜ばせられないと自分には意味がない、というところまで行くと危険です。それはマズローの言うところの「承認欲求」であり、内側から出る地震ではなく外側からの評価でしか自分の価値を感じなくなってしまいます。
しかし、自分のエネルギーがどこから湧くのかを知ることは、決して悪いことではありません。
人によっては、静かな環境で淡々と積み上げる方が向いています。人によっては、数字の達成だけで燃えます。人によっては、競争によって燃えます。人によっては、誰かに喜んでもらうことで燃えます。人によっては、美しい景色や美味しい食事や旅行の予定があることで、仕事に火がつきます。私の場合、その中に「誰かのため」「体験のため」「少し背伸びした未来のため」という要素があるのだと思います。
ヒリヒリする生き方で気をつけるべきこと
これは、恥ずかしいことではないのかもしれません。ただし、気をつけなければいけない点はあります。
- 一つ目は、ヒリヒリを常態化させすぎないことです。常に胸がひりついていないと動けない状態になると、平穏な日常を退屈だと感じすぎてしまいます。すると、本来大切にすべき穏やかな時間や、小さな幸せを見落としてしまうことがあります。
- 二つ目は、誰かのためという名目で、自分を削りすぎないことです。家族のため、恋人のため、生徒さんのため、お客様のため。それは素晴らしい動機です。しかし、そこに自分の存在価値をすべて預けてしまうと、相手の反応によって自分が崩れてしまいます。
- 三つ目は、お金を起爆剤にすることと、お金に支配されることを分けることです。旅行に行きたい、美味しいものを食べたい、良い体験をしたい。そのために稼ぐのは自然なことです。しかし、体験の豊かさがいつの間にか金額の高さだけで測られるようになると、人生の感度が鈍ってしまうかもしれません。
- 四つ目は、ヒリヒリしている時ほど、数字と現実を見ることです。情緒があるからこそ燃える。けれど、情緒だけで突っ走ると判断を誤ることがあります。Amazon物販であれば、売上だけではなく利益を見る。ACOSだけではなくTACOSを見る。広告費だけではなく、FBA手数料、販売手数料、原価、国際送料、在庫回転、商品ページのCVRまで見る。
感情で火をつけ、構造で方向を決める
ヒリヒリする生き方そのものが悪いのではなく、その熱をどこに向けるかが大切です。感情で火をつけ、構造で方向を決める。これが大切なのだと思います。
ヒリヒリは、人生を動かすための熱かもしれない

私は、ヒリヒリする生き方が合っているのかどうか、まだ完全にはわかりません。ただ、少なくとも今の自分にとって、それは一つのエネルギーになっている気がします。
誰かのために頑張りたい。大切な人と良い時間を過ごしたい。美味しいものを食べたい。旅行に行きたい。少し良い景色を見たい。生徒さんやお客様にもっと価値を届けたい。自分の仕事をもっと形にしたい。そう思うと、胸がひりつく。
でも、そのヒリヒリは、ただの不安ではなく、人生を動かすための熱なのかもしれません。
大切なのは、その熱をどこに向けるかです。
嫉妬や焦りや見栄に向けるのではなく、創造に向ける。浪費に向けるのではなく、体験と価値に向ける。自分を壊す方向に向けるのではなく、自分と誰かの人生を少し豊かにする方向に向ける。そうすれば、ヒリヒリする生き方も、ただ危ういだけのものではなくなるのではないかと思います。

そして、これもやはり「一日一勝」につながります。
https://www.kaigaibuppan.info/1day1win/
今日、自分は何のために働くのか。今日、自分は誰のために一つ動くのか。今日、自分はどの数字を見るのか。今日、自分はどんな価値を届けるのか。今日、自分はどんな未来に少し近づくのか。
そうやって、胸のヒリヒリをただの不安として終わらせるのではなく、今日の一勝に変えていく。その積み重ねが、自分の人生を止めないということなのかもしれません。
自分に合った生き方は、観察しながら作っていく

穏やかな生き方も正しい。安定した生活も尊い。何も求めすぎない関係も素晴らしい。でも、自分がどうしてもそこに少し刺激や目的や燃料を求めてしまうのであれば、その自分をただ否定するのではなく、丁寧に観察してみる。
なぜ自分はヒリヒリするのか。何に胸が震えるのか。誰のためなら力が出るのか。何を実現したいのか。どこまでなら健全で、どこからが依存や消耗なのか。そこを見極めながら、自分に合った生き方を作っていけばいいのだと思います。
人生は、完全に正解がわかった状態で進めるものではありません。

むしろ、仮説を立てながら進むものです。
自分にはこの生き方が合っているのではないか。でも、ここには危うさもあるのではないか。だったら、こういうルールを作ってみよう。こういう距離感を保ってみよう。こういう数字を見ておこう。こういう休み方も入れておこう。そうやって、自分の人生そのものを実験しながら調整していく。それでいいのだと思います。
ヒリヒリする生き方が正しいかどうかは、まだわかりません。
ただ、少なくとも私にとって、そのヒリヒリは、生きている感覚であり、誰かのために燃える力であり、仕事を作る力であり、人生を動かす熱なのだと思います。
だからこそ、その熱を大切にしながら、同時に飲み込まれないようにする。情緒を大切にしながら、構造を見る。胸のひりつきを感じながら、数字を見る。誰かのために燃えながら、自分自身の軸も失わない。そのバランスの中に、自分なりの一日一勝があるのではないかと思います。
最後に
もし今、自分が何のために頑張っているのかわからない方がいるなら、一度考えてみてください。自分は何にヒリヒリするのか。誰のためなら力が出るのか。どんな未来なら、少し胸が高鳴るのか。そして、その未来に向けて、今日一つだけ何ができるのか。
それを見つけることが、今日の一勝になるのだと思います。
